研修医の声
活気があるのはいいこと
医局にいると、元気な笑い声が聞こえてくる。
壁一枚隔てた先が、今の研修医室だ。
4、5人のグループトーク、この声の大きさはI君だろう。空気は読めないがいいヤツだ。
変人奇人が体感8割を占める医師集団の中に、ひときわ常識人として輝く秘書の伊藤さんが、変なことにマジレスを返し会話に複雑さと厚みを持たせるのが常だ。
7年経ってもその時々での「いつも」は変わらぬ形でそこにある。
今は外部からのバイトの方や、事務の方の仕事場になっている研修医室とは言えオープンになっている空間がかつての僕の学び舎だった。
相当に煩かったのは間違いないが、当時の研修医室の近くの医局の先生方の席は、整形や外科の先生方の席だったし、いってもみんな煩いのが好きだったから差支えはなかったのだろう。
活気があるのはいいことだ。
院長訓示で「インスタで病院の頑張っていること、良いところを発信しよう」と回ってきたのがつい最近だが、ホームページの更新やSNSでの発信をするにも相応のプロップスがなければ発信力としては乏しいものとなる。
かつての栄光にすがりながら、私自身も新たな黒歴史を残そうと頑張ってみようかと思ったこの頃。
結局はやる気があって人の目も気にせず、行動力がないと難しい...こんな言い訳をしている大人になってしまったのが悔しい。
活気があるのはうらやましいことだ。
幸いうちの子達は素直でやる気がある。
救急でも、外科研修でも回ってきたのならば少しでも経験値を積んでもらいたいと先輩風を浴びせたくなる。
そのたびに、俺の時はもっと頑張ったけどなぁと思う一方で、オーベン世代はもっと頑張ったんだろうなぁと思い口を閉ざしたくもなる。
「俺の若いころは・・・」の語り口からは、基本は時代錯誤で非効率なことしか聞かれないのは、誰しもが思うことだろう。
指摘というにはあまりに非合理で、より効率的に強くなれる言葉を求めたくなる。
私自身、前置きに「これはパワハラでしかないと自覚した上で言うが」とつけざるを得ない指摘をする。
指摘しながら既に後悔をしてはいるのだが、一度どこかで指摘されないと3年目で必ずパワハラを受け、そこに嫌気が差ししまいには医師をやめて自由診療に行くことになる。
理不尽な詰め方は本当に気持ちが悪いが、合理的な説明をした上でもそれが理解されなければパワハラでしかない。
「俺の若いころは・・・」に対し「そこに合理性はあるのか」と上司に詰めていった私は、今でいうハラスメントに他ならない。
おそらく、相当だるい研修医だったであろう。それは150を超えるブログ記事を見れば明らかだ。
「この尿は何色だ?」
とある具合の悪い患者の尿の色が変わった際に、Mに聞いたことがある。
「淡黄色です。」
尿の色は何色と問われれば、そりゃ色を答えるであろう。
「refillingがきて少しずつ状態がよくなっている患者さんで、希釈尿と答えてくれればみんな喜ぶ。
医学的に主治医ないしは執刀医が喜ぶのは、患者さんの具合がよくなった時で、嘘でも気を遣って良さそうなことを言った方がいい。」
・・・これは私が外科医として受けてきた外科式の教育のたまものである。全くもって問と答えが一致していない。
また別の日問うてみた。
「このNGT排液は何色だ?」
見た目は明らかに便だ。
ただ1年目であればみたことのない色で、とりあえず管に近づいてよくみてみるが、なんでこんな色なのかわからない。
下部小腸で閉塞起点があれば排液がほぼ便みたいない色調になる。
色調を表現すべきなのか、排液としての性状を表現すべきなのか、逡巡し答えに窮していた。
「残念ながら答えは、便だ。」
・・・気を遣う必要も何もないとはなんとも理不尽である。
我々に負けず、早めに来て情報収集をしたりと努力する姿を見て、伸びるんだなと確信する。
活気があるのはいいことだ。
元研修医 佐藤
2026年08月21日

