研修医の声

鳥海山をみれば地域が見える

ユタリハの裏側駐車場から見える鳥海山は、とても綺麗だ。

鶴岡市の至るところから、かれこれ50年以上鳥海山を見続けた父が言う。仕事道でユタリハ近辺を通りかかることが多く、休日にわざわざ裏側駐車場に行き眺めたそうだ。

足元から続く次の春へと力を備えている田んぼから徐々に目を上げていけば、頂きに向かって続く輪郭がやけにはっきりと浮かび上がってくる。

雪化粧しながらもどこかひっそりとしたその面構えは、自己主張が苦手な「鶴岡人」にはぴったりな気がする。

私が思う鳥海山の美しさはまさしく鶴岡人の思うそれである。実家が田んぼだらけの南側の方で、小さいころから見ている鳥海山が小さめだからだ。

小学生の頃、みんなはだしで泥んこになりながら田植えをして「腰が痛いなぁ」と顔を上げた時、「頑張ったのぉ」と言わんがばかりに遠くに見えた。

朝通学中、七号線を「鶴岡」側に走る車の中でボーっと遠くに見えた姿があまりに自然だった。

大学生の頃、山形から帰ってきて久しぶりに見れば、泥んこ時代、ボーっと時代をぼんやり思い出したものだった。

遠くに見える一風景のはずが、記憶の中で重層的にキービジュアルとしてこびりついている。

まさしく私たちの生活に、単なる一風景と言うには物足りない程根付いている。

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ユタリハ実習中は各所を回る。健康管理センター、中村胃腸科内科、石橋内科、みずばしょう、保健所など。どれも鶴岡市の地域医療を回すための大小さまざまな歯車だ。

ーーー健康管理センターーーー

ここでは、同郷の先生がいらした。

ありがたいことに顔を覚えて頂いており、地元トークに華が咲く。

鳥海山の話を振ってみれば、「そうだよね。やっぱり鶴岡から見えるのが綺麗だよ。」と、うんうんと頷きながら話が進む。

「でもな、酒田の連中はな、大きいほうが好きだっていうんだよ。俺は違うと思うけどな。」

ポロリと聞こえる本音に、私はヘドバンした。

「大きすぎる方が趣が無い」

酒田は商人の町だから、大きくてうるさいのが好きなんだ、まったく見栄っ張りで性に合わない、そんな意味を込めてコメントした。※別に酒田をdisってるわけではない。しかし、商人の町酒田における「酒田」人の思う鳥海山は近いから大きい、そして大きいから好きなのだ。事実そのものだろう。

ーーー開業医見学ーーー

中村先生、石橋先生の元では在宅診療の見学をさせて頂いた。

どの患者さんの前でも膝をつき、同じ目線で診療されていたのが特徴的であった。

自宅での生活を考えた上での先手を取る診療は、単に急性期で学んでいる私たちでは想像がつかないものだった。

中村先生と訪れた家は全て屋敷、Fはそれを見て「でっけーなーーーーー田舎いいなーーーーー」

・・・ぜひともこちらに残っていただきたい。

六小学区の中でも住宅街、入り組んだ道のりをひょいひょいと進んでいく。まさしくホームなのだろう。

やはり市内だけあって綺麗で、内装が凝ったお家ばかり...こう思うのは旧市外民ならではなのだろう。

フランクに家人と話したかと思えば、時折方言交じりに細かく問診し、身体診察、評価していく先生のお姿を見ればこれが開業医、これが在宅医療なのだと実感する。お薬は後に取りに行くというスタイルは画期的、これなら患者さんには負担がかからない。

藤島だけじゃなくて、この辺ぜーんぶいったな

こう話されるのは石橋先生。自分の生まれというのもあるのだろうが、こと細かく「部落」単位でどこに往診に行ったか話される。昔何があったか、新しい道路がどれかなど昔ばなしも面白い。「あの山の辺りが〇〇って部落で、その隣が△△で~」流石にそこまで細かいのは分かりませんし覚えられない...流石この地の先生。

医院によっては運転手をつけるが私は自分で運転する。そうでないと緊急時に自分でいけないだろ?全部道覚えたよ。

高校、大学の大先輩の医師像は、まさしく私がやりたい地域医療そのもの。地元民の地元への愛着・理解があるからこそなせる。

「少し回り道をしようか」とゆっくりと国道沿いをドライブしながら見る鳥海山、月山も綺麗で「山形市いた時はなんか山ばっかりで辛かったよ。やっぱこうでなくちゃな」、親近感が止まらない。

ーーーみずばしょうーーー

みずばしょうは場所もわからず、行くのが初めてだった。

老健施設も初めてだし、制度も国家試験以来聞いても見てもいない。

ゆぽかの隣にあり、周りは大きな山々に囲まれ空気が美味しい。

施設は綺麗、エントランスは完全バリアフリー。

中は暖かい木造づくりで、循環式の冷暖房完備。無風で感染症対策をしているとのこと。

風力発電、太陽光発電を用いランニングコストを抑える工夫をしているということで、よくわからんが拘っている。Fがそのあたりで喜んでいる。

しかし、みずばしょうのご飯の説明は私も食いついた。

エルサングループが入っており、真空調理らしい。

実際食べさせて頂いたが、味付けしっかり、お野菜たっぷりの小鉢が二つで大満足。

ぶり大根はこれでもかと味付けされており、はえぬき新米も美味なり。

これはもう、両親入れたげたい

まだまだ元気でADL万全であるはずの両親の行く場を勝手に決めてしまう親不孝者のFと私。

しかし、基本的にはリハビリ目的の三か月入所だから...結局無知を晒してしまった。

ここでは施設長の先生からいろいろお話を聞き、非病院の区分である福祉施設が置かれた現状を勉強させて頂いた。

褥瘡がとかく少ないのがみずばしょうの自慢らしい。確かに、気合入りまくってる。別に認定看護師がいたりとか、医師が頑張ってるわけではない。介護福祉士や看護師など職員全員が気合バリバリ。

老健は薬価が大事、保険使えないから。月の薬価が2万超えると受けづらくなる

知らなかった。

というより薬価なんて気にしたことない。

薬価を施設持ちだから高すぎると施設が赤字になる。患者の為にやっているのに施設が損をする、そんな不具合が起きてしまうのが現状だと。

代替できる薬はジェネリックにしたり、同効薬で安いのに変えたり、無意味な処方はやめたりしてなるたけ安く、そしてポリファーマシーに対して処方内容を改めるのもまた仕事であり面白いところだという。

近年の社会問題がたっぷり含まれるお話だった。

先生たちは患者さんのその後の暮らしを考えたことある?私たちの仕事は、そこを考えること

社会問題に立ち向かいながら、患者さん達の「その後」をサポートするのが回復期、慢性期病院の務めであると。

お家の状況を考えて改装したり、帰れるようにリハビリしたり。独居が難しいのならばどう暮らしていくべきか、施設に入るのか、手続きは?細かく、細かく、お家に帰ってからも安心して暮らせるように。

先生たちも退院させる時困るでしょう?

それが...ソーシャルワーカーさんと看護師さんが気合バリバリなんで...

全部医師がするとなると、骨が折れると常に思う。いつもお世話になってます、神様方。

ただこう言った仕事は医療というより「福祉」なのでは?

先入観無しに見れば、医療者はあまりに自然に多くの仕事を受け持ちすぎているような印象を受ける。

本来餅は餅屋がやった方がいいし、医療者は医療に専念した方がスキルアップが望める。地域医療に忙殺される我々は「地域の為になんでもしなきゃいけない」と強い使命感に裏打ちされる高い精神性を、図らずも持たざるを得なくなっている。何せ帰れないし、かわいそうで感情移入もしてしまうから。みんな優しい人ばかりだ。

善意の元に成り立っている、自己犠牲の精神で成り立つのが地域医療の実態だ。

無論、医療者なのだからそれが当たり前だと思うのだが、それを当たり前として享受するだけでは今後の超高齢化社会では破綻することだろう。

福祉の面でより円滑に回るような人員配置、役割分担であったり、退院先が地域一体で透明化、患者情報が共有できるようなシステムが必要となる。

Net4Uはほんとに便利だからね

私の憂いは既に解決されていた。こうした施設に来ると地域での情報共有の必要性をより実感する。

先生たちの診療も丸裸だからね

ID-Linkのことだ

・・・もっとまじめにカルテを書こう

(二つのソフトがあると個人的にはめんどくさいから市民全員に共通ID発行して統一サイトになってくれないだろうか...。マイナンバーの使い方ってこういうところでないのか。紙カルテすべてスキャニングするとか、ペンタブ使ってアップロードするとか)

また、老健施設故にやれることに制限があるという話も面白い

酸素は使ってダメ、使える抗生剤も三種類(点滴はCTRX、飲み薬はレボフロ、セファクロル)

粘りすぎると迷惑だからほどほどのラインで搬送させていただいています。

施設毎決まりはあるし、しょうがないとは思うけれども...こんなんで送るとかどうなってるの?と微妙な症例を見るたびに感じてしまっていた私、何も知らずに恥ずかしい。

施設間での役割分担がなされているのだから、その施設で出来る治療の範囲や使える薬剤の詳細はしっかりと周知する必要はあると考えさせられた。

荘内病院に搬送するとき、心血管系、呼吸器系はどうすればいいのか。

院内でもマニュアルに従ってなんとか対応しているのが現状なのに、地域の他施設の医師からすれば尚困るだろう。

中核病院であるならば中核病院として搬送しうるすべての施設に周知するための活動は必要なのではないだろうか。少なからず、他施設の医師が皆知っているわけではないし、知り様がないことを学んだ。

定期的に人材交流なり、話し合い出来ればいいんだけどね。忙しくて難しいけど。

至極その通りだと思った。単なる周知だけではそこまで意味をなさない。

地域の医師、医療者を年何回かは引きずり出してディスカッションの場を設ける、それが無理なら地域に出向くなりしなければ本質的な周知はできない。知ろうとしなければ知れないこと、知ろうとしなくても知らなければいけないことがあるのだから。部落や学区単位で、市民を交えてその地域の医師とディスカッションなり共に学ぶ場があればいいのに。

それからは情報通である我々が荘内病院の内部事情をいろいろと。大丈夫です、悪口は言ってませんから。

 

以上、様々な施設を見て感じたことでした。

地域医療で生じる問題を解決するには施設間の連携は不可欠であるし、その根幹としての施設間でのコミュニケーションは無下にはできない。

それでも今を乗り切る為に、先生方皆が身を切って働いている。

今を生きるのに精一杯ながらも、その後のことを見据えて今何ができるかを常に自問している。

「何のために頑張ってるんだろう」

そんな素朴な疑問を抱いてしまうこともあった。ただ生きる為なら、お金を稼ぐだけでならこんなに考える必要も頑張る必要もないのに。

たぶん、鶴岡が好きで、鶴岡の為に尽くしたいからなんだろう。

みんなジモティーだったから。

これだけ鶴岡のことを好きで考えているなら、自分が考える地域医療のことを、形式ばらずに自由にみんなが言える機会があれば、きっとそれは素敵なことなのだろう。

 

私は、ずっと鳥海山を見て育ってきた。田んぼや裾野から、見上げる鳥海山が一番大好きだ。田んぼも裾野も、趣深くてきれいだったから。

地元から見える田んぼは何よりも素敵だし、その先にある鳥海山をよりたくましく見せてくれるから。

小さい歯車であっても力強く動き続ければ、きっと大きな力になる。誰もがそんな思いを持ちながら考え続ける、そんな鶴岡であってほしい。

遠くに見える鳥海山が、より綺麗に見えるように。

2年目研修医 佐藤

2019年12月27日

研修医

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