研修医の声

悪い先輩像

先日山形にいく機会があった際久しぶりに部活に顔をだしてみた時のこと

「お疲れ様です!」

と、挨拶慣れした明るい声で出迎えられ、「医学生」にひさしぶりに「さん」付けで名前を呼ばれることに少しほっこりとしてしまう

私が卒業する時に一年生だった子達はすっかりと大人びた風に。垢抜けた立派な大学生となり部活を仕切る立場になったようだ

私が知らない子達もぽつぽついる

明らかにバックハンドのフォームがテニスだ

しかも回転がかけられない硬式テニスのそれ

フォアは肩関節の使い方が似てるからいいとしても、もうちょっと打点設定を卓球に寄せて平行スタンスにしないと伸びない。システム練でバック基礎打ちを仕込みたいが...流石にOB出しゃばりすぎか

そんならしくなく控えめな私を知ってか知らずか、「大先輩が来たぞ」と煽り始める後輩達

当時の「ノリ」を求められているようで、杞憂だったようだ

ゴリゴリの球出しをご所望なよう

しかし大丈夫か?経験浅そうな女の子三人に球出しなんてしたら、温い環境に慣れてたら体痛めちゃうぞ、とこちらもそれなりに煽ってみる

「いちばんキツイやつで」

ネジが飛んでいて良し、男子よりも女子の方が活きのいい学年なんだな

気持ちよく、久方ぶりの熱血球出しに暫く夢中に...と、そんなことをしにきたのではない

私は何人か動向が気になる後輩が居たから、来たのであった

六年生たち、勉強は大丈夫だろうか

二年生二回目たち、勉強は大丈夫だろうか...

これから一年を賭けた戦いに挑む最高学年たち、自分を見つめなおす一年を過ごすことを決めた後輩三人に先輩としていい言葉を投げかけねば

そんな気持ちをよそに「留年ズ」で一番面白い後輩に開口一番、私は聞いた

「最近、麻雀やってる?」

――――そう。私は学生時代最終学年として、やらねばならない二つの指導を行ったのだった

一つは卓球

ろくに打ててなかった女子をしこたましごいて、初心者と一年生にたくさん教えた

そして、残りのもう一つは...

麻雀

一年生の男子が総勢六人、牌を持ってるのが上の代に二人いたため、二卓囲めるようにと配慮したのだ

学生時代卓球をしている時間も相当だったが、それ以上に麻雀に時間を費やし対人コミュニケーションを学んだ私は、人間的総合力を磨くためには麻雀は不可欠だと熱弁

そして、東医体の場所が長野だったこともあり、その道中は延々と麻雀をし続けたのだ

そして...そこで磨いた力が翌年開花した結果、「留年ズ爆誕」を実現させてしまったようだった――――

私の唐突な問いに、その後輩がノータイムで答える

「はい。頑張ってます。昨日もやりました。」

なんて、なんて勤勉なんだ...。

「ところで、今年は進級できそう?」

「たぶん、大丈夫です。」

安心した。留年生の「たぶん」は6割型。これからの人生6割の勝負を落とすようではやってけないし、これだけ勤勉に打ち続けたならほぼ確実に引ける実力を身につけているに違いない

もっとも、私が教えたのは、真面目に勉強して無事に進級し春のキレイな桜を見ることではないのだから、勉強の心配自体が茶番であることは言うまでもない

私が教えたのは、如何にして卓上で花を咲かせるか、どれだけ「カン」が美しいか、そして「カン」をすることでしか得られない嶺上の眺めだけだ

どうも彼は連日、卓上に咲く尊く、美しい花を見る快感に打ちひしがれているようだ

これだけ見慣れているのならば、来春にしか咲かない花も当たり前のように見ることが出来るだろう

無論、6割型であるが

---

さて、ところ変わっても話は変わらない

最近また嬉しいことに、昨年振りの面子で卓を囲むことが出来た

やはり、雀風には生き方が出る

case 1

ある人は日ごろの練習の成果を十二分に見せつける

ツモ力が1人、ずば抜けていた。多分漫画の世界から出てきたのだろう。ツモの必然性は、天か、アカギか、天牌か、いや、これは坊や哲その人だ。小学校の頃ドハマりしたアニメのそれだ。

振り込んでも気にしない強さは、普段の性格そのものか?

case 2

ある人は顔色をうかがう

心理的に上位に立ちながら進めたいタイプなのだろう

大胆な自己主張にすぐついで見えるのは繊細さ

その割に逃げる決断が速い

内心は少しびくびくしている...のかもしれないが、やはり堂々と見せつけてくる

case 3

ある人はドラマを作る

その過程でミスが多くても、印象的なアガリを演出する

卓上の雰囲気が「白」に集まり、そして散って行ってノーケアになった瞬間を見逃さなかった

我慢すると決めたら徹底的に我慢して攻め続ける

不利になっても気にしない姿勢は、その人のエゴイズムが上手く働いているのだろう

case 4

かくいう私は...エスパーを目指していた

見えないものを見ようとして、見えたふりして振り込んだ

双眼に映るは、無意識に卓上に投影していた私の心の奥底の風景だったらしい

論理的根拠など何もない、ただ場に漂う雰囲気に身を、心を、運を任せただけだ

 

本記事もその場の雰囲気と流れに任せ、思考せずに指を動かした結果書いてしまったものだ

頭だけで生きるのではなく、感性に身を任せて生きる時間も時には必要だ

そうでないと、心が摩耗してしまう

現代社会にはびこる様々な制約、様々な軋轢を日々真正面から受け止めるような生き方はもうやめにしないか

感性で生きる時間があっていいじゃないか、雰囲気・流れから相手の心をも飲み込める「場」をつくれればもっと楽に生きれるんじゃないか

そのスキルはどこで身につければいいのか...その答えは「卓の上」にしかない

今日も元気に、口八丁、いつも心で叫びましょうよロンロンと

来たるその日に備えて、日々研鑽を続けて参ります

2年目研修医 佐藤

2019年12月17日

研修医

このページの先頭へ戻る