研修医の声

第12回ノーマライゼーション親善交流卓球大会

1/20、鶴岡市はゆうあいプラザかたぐるまにて第12回ノーマライゼーション親善交流卓球大会が開催されました

DSC_0693_HORIZON.JPG

選手は鶴岡地区の障害者(誰もが知ってるおからっきーのおからやの方々など)、山形地区など他地区在住の障がい者の方々、鶴岡中央高校、陽光スポ小の子達などなど総勢48名

下は小学二年生、上は90歳と、ドンピシャでノーマライゼーションな大会です。

以前も書きましたが、元市議会議員で高校の大先輩の芳賀誠さんから「医療班として出てくれ」とオファーがあったやつですね

院長に「僕って医者役で行っていいんですかね?」と聞くも、「バカヤロウ、ダメだ」と即答された為、「選手として出ます、もし何かあった際はたまたま卓球をしに来たのが研修医だったと言うことで、出来る限り対応します」ということで、ただ卓球をしに行きました

荘内病院の総務課長を通してオファーを再度頂いたので、回ってる科の先生にも許可を頂き朝から気張って。(起きるのめちゃくちゃ辛かったですがね...)

回った科の先生もどうも卓球経験者だったようでして、寛容でした。有難い!

選手として出るとしても、三年前まではボチボチできましたが、最近はたまに今鶴岡で最も来てるチーム「Lilac」か城北スポ小で打つ位で大分実力は落ちて来ました。それでも月2、3打てれば割と試合になります。

ということで、卓球だけでもゲスト枠で呼んで頂けました!

しかし私の本心は卓球なんて実際はどうでもいい。卓球を通じた障害者の方々との交流なんて相当に貴重なイベントですからね。せっかくだから色んな人と交流したり、試合風景を眺めて技術考察したり、あまり見ることが無い方々のコミュニティーに触れるこ事の方が重要なわけですよ。

知らない世界に触れるって大事じゃないですか。

それ故に今ブログを書いている中でも調べながら書いていまして、皆さん気付かれたとは思いますが「障害者」と「障がい者」という表現、実は自治体ごとで異なるようです。私が無知だっただけですかね。

どうも荘内病院の医師と言うことで、物珍しさがあったようで、謎に丁重に扱って頂きただただ申し訳なくて...

もっと雑で良いんですよ、ほんと。行くと決めたら仕事は何でもするつもりで行きましたからね。

それでも芳賀さんにわざわざ開会式でご紹介して頂き、開会の挨拶でいらした皆川市長さんにもご紹介して頂き、始球式でも皆川市長さんと打たせて頂きました。僭越ながら「皆パンチ」、頂きました。

まさか鶴岡市の首長と出会えるとは......と言うことでブログ素材にお願いします、と一枚頂きました

DSC_0695_HORIZON.JPG

市長さんのことあんまり知りませんでしたが、実際喋ってみるととっても優しい素敵な方でした!

自ら小学生に「打とう」と駆け寄るおちゃめな姿も。卓球お上手でしたし、やっぱり市長さんになる方は何でもできるんですね。

出身が大泉と聞いて親近感、中高の大先輩でもありました!

名刺まで頂いちゃって、私なんて持ってるわけないですから余りに無礼を働いてしまいました...すみません

DSC_0697.JPGDSC_0696.JPG

さて、実際の試合はとなると、真剣そのもの。見ていても楽しい試合がいっぱいありました

私もAクラスで試合を4試合させて頂き、全勝優勝させて頂きました!賞品もたんまりと!

でも陽光スポ小の子に唯一1ゲーム取られて、みまパンチかと思うくらいとんでも無く早いスマッシュを何度も浴びせてくれてあまりに幸せだったので、賞品全部あげちゃいました!今後も卓球続けて頑張って欲しい!!!!

また、各クラスの優勝者がコミュニティ新聞の方に載るそうです、ビックリ

自分のリーグが一番早く終わってそれからは運営のお手伝い

初めてコール&大会運営でしたが、病棟管理よりはラクチンで、最初10分くらい理解できませんでしたが、慣れてくればサクサク。無事に大会を進められました

その後は賞状の名前書き

言っても私書道二段ですから人並み以上ぐらいのレベルで毛筆は書けます

筆ペンだったんで最初はイマイチでしたが...一位二位より三位の方がクオリティー高いのはご愛嬌

ということで無茶振りばかりで、あまり日常的にはしないことを色々させて頂きました

新鮮で面白かった!

また面白そうなイベントがあれば参加してみたいですね!

1年目研修医 佐藤

(追記)

開会のあいさつで皆川市長はノーマライゼーションという単語をノーマル(普通)であることにする、と説いていた。障害をひとつの「個性」として捉える―誰もがそれぞれに持つ性格や身体的特徴を「個性」として捉えるように―ことで、社会全体が「個性」として寛容になっていくと、より分かりやすい言葉に置換して説明された。

現実にノーマライゼーションという言葉が普及されてはきているが、それに親近感を覚えるような環境にいない人種にとっては隣の芝、でしかない。貧困な思想と言うのは、狭い価値観の中でしか生まれない。以前述べたLGBTのように、歴史的に偏見が前提とあるような概念であるが故、ノーマライゼーションという言葉の意義を本質的に浸透させていくというのは教育のレベルで工夫する必要があるというのは言うまでもない。知識として正常と障害を知ること、正常とは何かを知らねばそもそも議論するレベルにはならないからだ。一口に障害と言ってもカテゴリーは様々ある。知的障害、身体障害、精神障害、これ以上により細かくカテゴライズされることもあるだろう。

人の個性を知るとしても、具体的にどういったものがあり、どういった特徴があるかを知らねば障害という言葉を知っていたとしても言葉の意味を知っているとは言えない。多様な人を見て、多様な個性、価値観に触れねばその人の言葉に説得力は生まれない。

医療者であればぱっと見でどういった障害を持たれている方なのかはわかる。だが彼ら...とりわけ小学生と鶴岡中央高校の子らはそうした判別は簡単には出来ない。にも関わらず、彼らは卓球の試合を成立させなければいけない。

本大会で小学生と障害者の方々のマッチングが多数あったのだが、どれも卓球の試合として立派なもので、私は試合風景を見て相当に感動した。

自分達と同じコミュニティーないしはカテゴリーではぶっきらぼうな試合をすることも多い子らが、障害者の方々と試合となると試合中のコミュニケーションを良好なものとしようと工夫していた。普通卓球の試合はボールが台から離れて転がっていった時、自分から近い方がボールを取りに行くものだが、彼らは率先して拾いに行くし、サーブ権が間違っていれば聞き取りやすい声で指摘する。相手に分かるようにジェスチャ-も交える。

あまりに実力差が離れているようであれば相手の打ちやすいところに返したり、相手があまり動けないようであれば展開を縛った卓球で、相手が楽しく卓球出来る方法を模索していた。それは子供達の表情に顕著に表れていて、レシーブミスをさせてしまったのなら、少し困り顔、次はサービスの回転量を落としてみたり、ラリーが続かなければ頭をかしげて、台から離れて球質を調節し出来る限り相手のラケットの近くを狙おうとしていた。

勿論選手権としてであるならば、ただ勝ちに行けばそれまでだろう。だが本大会はノーマライゼーションを謳う大会、きっとスポ小の監督もそうした指導をしているのだろう。ここまで行き届いているとは、よっぽどいい監督なのに違いない。

試合をするならとことん潰せ

と習う選手も多い中で、彼らは卓球を通じて相手を思いやる気持ち、ノーマライゼーションの精神を学んでいた

ただこう書けば、障害者を特別扱いしてむしろ普通じゃない、ノーマライゼーションとは対極なのではないかと思える方もいるだろう。

それはあくまでこの文章を読む限りで、実際に見れば分かる。彼らのプレーはあまりに象徴的だった。

試合中は皆一生懸命。立派な試合を成立させようと尽力していた。双方が納得できるような立派な試合を成立させるための思いやりであるならば、それこそ立派なローマライゼーションではないだろうか。ただ点数的に競るのではなく、卓球の試合を通じたコミュニケーションを図る、本来スポーツって楽しいものだからそうしたニュアンスがあって然るべきだろう。

彼らの姿に私はノーマライゼーションの本質は、お互いを理解し合う為の意志疎通なのだと気付かされた。

知ることなしには寄り添えない、まずは知ろうとすることが大事だったのだ。

更に言えばこれこそが当たり前なことであり、ノーマライゼーションなんて大層な名前を付けるべきではないのかもしれない。理想を言うなればノーマライゼーションという言葉が浸透した後に、ノーマライゼーションという言葉が無くなること―ノーマライゼーションのノーマライズにより誰もが自然と理解し合おうとする社会参加の姿勢が一般的になることが最終目標か。そう、概念として取沙汰されることの方が、社会に浸透できていないと自ら言うものなのだから。

人を知り、人に優しく出来る精神を小さいころから学ぶ機会があると言うのは、彼らにとって幸せなことであるに違いない。優しい心を持つのも間違いない。

願わくば彼らの中の多くが医学部に入って、荘内病院に来て、荘内病院卓球部を作ってリハビリ室に卓球台をいっぱい置いて、私と卓球をしてくれれば...

20年後に期待である。

2019年01月20日

研修医

このページの先頭へ戻る